繭 玉 抄

    林田麻裕

 

ぶっ厚いカーディガン脱ぐその瞬間いつも真冬に抱きしめられる

 

くたびれたああくたびれた母さんはクタビレタダケ食べたのだろう

 

三匹のこぶたを食べるタイミングいっぱいあったのにオオカミは

 

「キュン」という曲を聴いたらキュンとしたテレビの前のウイルス消えた

 

この曲はどこかで聴いたことあるわ分かった君の腕の中だね

 

繋がる五七五⑳  子規 2

 

      おーたえつこ   消しゴム版画 辻 水音

  明治二十九年

  「草庵」

  子規 紅緑(佐藤紅緑) 虚子 碧梧桐 肋骨(佐藤肋骨)

 

  門口に檜の下枝の茂りかな  子規

   衣を更へて薪わる人  紅緑

  渺渺と田の面の風のわたるらん  紅緑

   湖にのぞみし小城灯ともす  虚子     

  羽織着て名主へ参る冬月夜  子規      脇句に「衣」がある

   案山子の顔の何に驚く  紅緑       第三に「田」

  打たれたる雁は落ちけり沼の中  碧梧桐

   使者の役目のはてしくたびれ  子規    打越に「名主へ参る」がある

  冬ごもる天井に反故を張りつめて  紅緑

   梵論寺も来れば炭売りも来る  碧梧桐

  其の中に祝言の日の近づきぬ  子規     

   髪かきあげて心ときめく  紅緑      やり句(深い意味のない繋ぎのための句)

  月は今枝折戸近く入りかかり  碧梧桐    

   菊古くさき萬葉の秋  子規

  燈篭を馬につけたる痩男  紅緑       月の句が九月で、これが七月

                        季節が逆戻り

     中略

 

  古郷に帰れば娘つつがなし  紅緑

   仏壇の戸を開く短夜  肋骨

  夏虫の灯を消ちたりと覚えける  碧梧桐   この辺り、物語的な句が続いて

   敵をねらふ近江商人  虚子        くどい

 

 

     中略


贈られし百壺の酒を飲つくし  虚子

   下手な詩つくる男爵の君  子規

  大内の花しらしらと明けわたり  紅緑

   貢の車つづく春風  肋骨        手前に百壺の酒の貢物の句が

                       あるが、挙げ句の礼として〇

 

 この連句の横に書いてあるのは、有名な民俗学者、柳田国男のひと言コメントです。

 柳田国男は虚子や碧梧桐たちと同じ年ごろです。柳田が1875年、虚子1874年、碧

梧桐1873年生まれです。

 彼らが直接の知り合いであったという記録は見たことがありませんが、柳田と森鴎外が

対談したときに、子規に会ったことがあるという話をしていたようです。

 柳田国男も俳句を作ったことはあるみたいですし、連句の知識もあったのでしょうね。

 明治時代にはまだ、仲間と連歌や連句を楽しむ文化が消えてはいなかった。当時の文化人

は教養として俳句や連句をたしなんだのだろうなと、想像がふくらみます。けれども作品と

して後世に残すという考えはなかったのですね。あくまでもその場限りの遊びという感覚

が大きかったのでしょう。それは、連歌の時代からずっとそう。連歌や連句の楽しさがそこ

にこそあるともいえそうですね。

 

 


季湖ワールド  雨水

    写真 季湖

季湖さんからのLINE。

 

『一般的に、立春から2月中旬頃に飾り始めることの多い

雛人形ですが、飾る日に明確なルールはないようです。

ただ、「雛祭り」は紙などで作った形代(かたしろ)を水に

流す行事が由来とされ、水が豊かになる雨水に雛人形

を飾ると良縁に恵まれると言われます。』コピペ

 

季湖さんからの雨水の写真をどうぞ。


上は松葉に降った雨の雫。

 

219日 二十四節気「雨水」の日にお雛さんを出しました。と言ってもコレですが

 

娘を思う母心
ちなみに男雛女雛の位置は京都式です。 

 

上の3行は季湖さんからです。下の写真はお雛様です。